月別アーカイブ: 2015年11月

疲れているのかもしれない

151128_onikuyasan川崎駅は、わたしがここに住み始めた8年ほど前から、開発合戦がすごいことになっています。まず西口にLazonaができて、それに客を取られた東口の駅ビル「アトレ」が改修、さらにそこに客を取られた地下街「アゼリア」がこのたび全面改修。お気楽なお客の身でありながら、「あぁ、大変そうだなぁ」と思ってしまいます。

とかいいながらやっぱり新しくなったほうについつい足が向く。それで先日、地下街にできたばかりのお肉やさんに寄ったら、とてつもなく優しいお顔の店員のおばさんに出会いました。とりたてて愛想がいいってわけでもないのですが、慈悲深い、仏のようなお顔と言いましょうか・・・。とにかくわたしにはそう見えて、おばさんの瞳をじーっと見ていたら、不覚にも涙ぐんでしまいました。トリ胸肉のひき肉300グラムと、トリもも肉のひき肉300グラム、と注文しながら。

肉は、600グラム買ったのに1回の夕食でなくなってしまい、お肉をキロで買うようになるのも遠い日ではないなと思いました。

そう、泣いている場合ではないのです。気をつけなければね。意味もなく涙が出るってなんかやばいでしょう。ヨガでもやろうかな。まじめな話。

別のうちの人

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3年経ってから長男が語る「次男誕生」その②。3歳にとって、世界って、こんなふうにぼんやりして不安なところなんだということを知ったのだが、極め付けはこれ。

次男を家に連れ帰った日、3歳だった長男は「別のうちの人を預かってるんだと思った」んだそうな。

「いつ気づいたの?弟だってことは?」と聞くと「3回くらい寝たら気づいた」「この人、うちにばっかりいるなあって」と言うのである。

どうりで。次男を家に連れてかえったとき、長男はこれ以上ないほどの悲壮な、不安げな顔をしていた。どこのだれかもわからん赤ん坊がいきなり来て、いつまでもいる、なぜだ、なぜなのだ、という顔だったわけか。

大人からすれば、お腹が大きかったお母さんが赤ちゃん産んで、一緒に帰ってきたら、赤ちゃん=お腹から出てきた子=弟、って当然わかるだろ〜って思うけど、3歳にそれを求めちゃだめだったのかしら。

もちろん私だって「こんど赤ちゃん生まれるよ〜」「お兄ちゃんになるね〜」等々、ふつうに説明はしていたと思うんだが、そもそも「生まれる」とか「弟」ってものも知らないわけだから。

もっともっと、具体的な説明すればいらぬ不安を抱かなくてすんだのだろうか。「いまお腹の中に入っている赤ちゃんが、病院で外に出てきたら、お母さんと赤ちゃんは何日か病院に泊まってからこのうちに帰ってきて、ずーっと一緒に暮らすんだよ」とかね?長すぎ?

もうわたしはこの知見を生かす機会がないけれど(もう二人で十分!)、これから下の子が生まれるなんてご家庭があれば、参考になれば幸い。子供によるんだろうけど。出産立会いとかしたら、説明もなにもいらないのかな。

いま語られる「弟が生まれた日のこと」

151120_otouto_016歳になった長男が、先日、とつぜんに、次男が生まれたときの気持ちを話しはじめた。そんなふうに思ってたなんて知らなかった〜ってことばかりでビックリ。3年もそしらぬ顔で心に秘めているところが長男らしい。

まずは生まれた日のこと。赤ちゃんを見に来て、私にも会いに来て、そのあと私に「バイバ〜イ」って言われて、ビックリした、と言う。一緒に帰ってくれると思ってたから、と。まず、入院ってことをまったく理解していなかったらしい。

入院中、長男の様子を夫に聞くと、「さみしいとは言わないけど、お風呂に入っていると泣く」と言っていたが、気持ちを言葉にもせず、なんで帰ってこないんだろうと思って風呂で泣いていたとはなんとも切ないじゃないか。

その②につづく

ときどきとても腰が低い次男

151021_omukae朝、保育園でバイバイするとき、次男はときどき笑顔で「また来てね〜」と言う。お迎えに行くと「お迎え来てくれたの〜?」とまた、やたらと腰が低いので、そんな日は、どこかのお宅の礼儀正しい子のお世話をしているような気分になってしまう。まぁ、低姿勢なのは挨拶だけなのだが。

37歳になりました

151102_birthday 1先日、37歳になりました。36歳と37歳って、なんかすごく違うな〜というのを体感しています、最近。なんというのか、ちょっと無理があるけどまだいけるかなってひっぱってきたやり方は、もうギリギリ36歳までだったかな、というような。だれか話を聞いてくださ〜い。胃腸炎が治ったら(また罹患中)。

誕生日は、母がかならずメールをくれます。そして、ここ数年は毎年こう書いてあったんです。

「あなたの生まれた日は、とてもよいお天気だったのを覚えています。今日もいいお天気ですね」

で、毎年書いてくれるので「あ、それ知ってる」とちらりと思ったりしていたのですが今年は違うバージョンで攻めてきました。

「34歳のお誕生日おめでとう!11月12日はいつもいいお天気だけど、今回はあいにくの雨ですね」

って。

ええええっ!

まず、34歳じゃないよね。

それから、私の誕生日、11月12日じゃないんです。

びっくりして、すぐ返信しました。「34歳じゃないし、11月12日でもないんですけど、お母様!」って。そうしたら「キーがちょうど打ち間違いやすい並びだったから、両方打ち間違い!」「まだぼけてません」と。

ほっとしましたよ〜。娘が若返っていくなんて怖いでしょう。

母にはまだまだ教えてもらいたいことがあるし、子育てでも頼りたいので、元気でいてほしいものです。

さるは本当にバナナ好き?

151119_saruこの前の土曜日は、久しぶりに家でゲラを読んだ。夫の体調も悪いし「一人の時間をくれ」とも言えない状況だったので、リビングのちゃぶ台で読んでいたら案の定、背中に次男が背中によじ登ってきて「お馬さんやって」と言い、長男はバナナを食べながら話しかけてくる。

「さるって本当にバナナ好きなの?」

「人間がそう思ってるだけじゃないの?」

「さるはバナナ好き、って顔してない」

「ゴリラはバナナ好きそうだけど」

確かに、さるはバナナ好きって顔してない。私もバナナが好きでないが、バナナが似合わない感じの薄い顔だ。納得したので、気晴らしに、その辺にあった裏紙に、校正用の消せる青ペン、フリクション様で落書きしました。

それにしても、赤字を消せる時代がくるとは思わなかった。消すたびに「あー、こりゃべんりだなー」っていまだに思う。

生活にまみれてカリグラフィー

長年の友人に赤ちゃんが生まれたので、お祝いに書いた”Keitaro”。渡すのはこれから。喜んでくれるかな。漫然と練習していても張り合いがないので、おめでたいことがあるとうきうきと便乗して書く。ぜんぜん頼まれていないけどね。

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これは長年のおつきあいの”Yoko” さんのお誕生日に書いたもの。友人じゃなくて母ですが。

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英語の文字は子供のころからなんとなく好きだった。自分で書くようになったのは、大学を卒業して、カリグラフィースクールを見つけて習いだしてから。だが、一人暮らしで、平日は遅くまで働き、帰ってごはんたべて寝るだけ、週末には黙々と字を書く、というのがなんだか息がつまるようで、2年くらいがんばったけど一旦中止。カリグラフィーに向いてない性格なのかな〜と残念に思っていた。

それからは、たまに、結婚する友達のウェディングボードを書くくらいで10年くらい経過。そして今年に入ってなんとなく、また書き出した。たぶん、日本の書道を極めているお友達に触発されて。

そうしたら、意外な発見。黙々と字を書くことに息がつまったりするどこか、むしろ自由な気持ちになるじゃないか!子持ちで、生活まみれで、時間がないという、一見逆境のように見える毎日こそが、カリグラフィーに向いている環境だったのか?

そんなこんなで、3歳児にちゃぶ台をガタンとやられてインクの瓶を慌てて押さえたり、「ねぇみっちゃあん」とペンを持っている腕に体当たりされてぐにゃっと線が曲がったり、6歳児に「俺にもやらせて」とペンを取られたりして、イラっとしながらなんとなく書いてます。

人の口と、違う人の口

151007_soup先日、とても美味しいスープができたので、「パンにバターつけてスープと食べるとめっちゃおいしいよ、絶対おいしいから食べてみて」と長男におすすめしたら「絶対ってことは言えない」と言うのです。「人の口と、違う人の口は違うからね」と。まあそりゃそうだけど。結局、食べてみることもせずおしまい。

あれ?そういえば夫も・・・私が「絶対おいしいよ」とすすめても手をつけないことがしばしば。

信用されてないんでしょうか、私の味覚は。

水ぶくれ、あるある

150819_mizubukureどんな経緯だったかは忘れましたが、長男に、やけどしたら水ぶくれになるよ、と教えたら、こんなことを言うのです。

「水ぶくれってさ、なんかいもなんかいも、さわりたくなっちゃうよね」

うーん。まぎれもなく真実ですな。人間のサガでしょうか、これは。

気持ち悪い話ですみません。